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御祭神と御神徳


○御祭神

 菅原道真公(天満大自在天神)


 菅原道真公は、承和12年(845)6月25日に京都でお生まれになりました。幼少より学才に秀で、わずか5歳にして和歌を詠まれ、11歳にして漢詩を作られたと言われています。さらに、18歳で文章生(もんじょうしょう)、23歳で文章得業生(もんじょうとくごうしょう)となり、33歳で学者として最高位の文章博士(もんじょうはかせ)に就任されました。42歳の時、讃岐守として四国に赴任し、政治力を認められて宇多天皇に重用され、次第に高位高官に昇り、55歳にして右大臣兼右近衛大将に任ぜられ、当代随一の学徳をもって政務を担当されました。
 しかし、昌泰4年(901)藤原氏の讒言により無実ながら大宰権帥に左遷され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館において、ご生涯を終えられました。
 門弟であった味酒安行(うまさけのやすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。
 延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟しびょうが創建され、延喜19年(919)には勅命により立派な御社殿が建立されました。
 その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神号が贈られ、「天神さま」として崇められるようになりました。


○御神徳

1、学問の神さま
 

 菅原道真公は幼少より学才に秀で、わずか5歳にして和歌を詠み、11歳にして漢詩を作り、その類まれなる才能から「神童」と称されました。さらに、18歳で文章生(もんじょうしょう)、23歳で文章得業生(もんじょうとくごうしょう)、33歳で学者として最高位の文章博士(もんじょうはかせ)に就任し、その後異例の出世を遂げて右大臣に任ぜられました。
 また、弘法大師・小野道風とともに書道の三聖として詩歌・書道の神としても尊信され、学問・詩歌・文筆に優れた業績を上げた史実より、学問の神さまとして広く崇敬されております。

2、子供の神さま

 正確な人数は定かではありませんが、菅原道真公は14人~23人ものお子様を儲けられたと言われており、長男菅原高視(すがわらのたかみ)は大学頭(だいがくのかみ)兼右少弁(うしょうべん)となり、官人として活躍されました。その他のお子様もそれぞれ立派に育成され、学者の家系として長く栄えました。
 この史実に基づき、安産賢子・児童守護の神さまとして広く崇敬されております。


3、道中安全の神さま
 
 寛平6(894)年、菅原道真公の進言により、戦乱で疲弊した唐に危険を冒して渡航しても国益は得られないとして「遣唐使」の制度が廃止され、多くの人命が救われました。
 また、延喜1(901)年、大宰権師として九州の大宰府へ配流の折、道中数々の苦難にあいながらも、遠く長い旅路を無事に目的地へ到着されました。
 このような史実より、交通安全、旅行安全、通勤・通学安全など、道中安全の神さまとして崇敬されております。


杜の都の天神さま 榴岡天満宮 由緒

 仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に鎮座する榴岡天満宮は、平安時代の天延二年(974)に山城国(現在の京都府)に御創建され、平将春が陸奥国宇多郡(現在の福島県)に歓請し、その後宮城県柴田郡川内村に御遷座したのが始まりで、天文二十年(1551)に小俵玉手崎(仙台市青葉区の東照宮の地)に三度目の御遷座が行われ、後に藩祖伊達政宗公が仙台城を造営する際、当宮の社木(境内地にあった樹木)を用財として切り取った為、その報賽に慶長十六年(1611)に新たに丹塗りの御社殿を造営したが、慶安三年(1650)徳川幕府の命令により東照宮建立に際してその境内地東側に御遷座されました。
 そして寛文七年(1667)七月二十五日に三代藩主伊達綱宗公の意思により丹塗りの社殿・唐門を造営し、また菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、現在の東照宮の地よりこの榴ヶ岡に御遷座され、杜の都の天神さまとして現在も広く崇敬されています。
 御社殿は総欅(けやき)造りで照星閣とも呼ばれ、明治九年の明治天皇御巡幸の際には明治天皇が御参拝なされた御宮です。
 また仙台城構築の際、有力な築城の候補地とされ、元禄二年(1689)五月七日には当社に、松尾芭蕉が参拝し「ここ玉田よこ野つつじが岡はあせび咲くころ也ここに天神の御社など拜て其日はくれぬ」(奥の細道)という句を遺していることからも当時の天神信仰が盛んだったことを示しています。
  寛政七年(1795)二月二十五日に落雷による不慮の火災が発生し、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失しました。非常に残念なことではありましたが、道真公が高天原より降神なされてのでは、と言う歴史的ロマンをくすぐる唯一の天満宮と言われています(現在の御社殿はその頃の再建)。
 平成二十三年三月十一日に発災した東日本大震災によって被災し、御社殿の損傷が激しかったため修復工事を行いました。二年半以上もの歳月をかけて修復工事が終了し、平成二十五年十一月二十四日に本殿遷座祭を斎行し、仮殿に安置されていた御神体を本殿に御遷座し、翌日には本殿遷座奉祝大祭を斎行し、本殿での祭祀が再開されました。
 平成二十七年三月、松尾芭蕉が訪れた当時の趣を残していることから「つゝじが岡及び天神の御社」として、国の名勝『おくのほそ道の風景地』に指定されました。
 平成二十八年四月、「政宗が育んだ伊達な文化」のひとつとして、文化庁が認定する『日本遺産』に登録されました。
 平成二十九年七月二十五日に榴ヶ岡の地に御遷座なされてより三百五十年を迎える。平成二十九年は「御鎮座三百五十年奉祝」の年として様々な祭典や催しを行う予定です。


○天神について
 
 天神とはもともと地神(くにつかみ)に対する天神(あまつかみ)を示していました。 しかし現在では一般には菅原道真公(天満大自在天神)を示しています。
 当宮の御祭神である道真公が九州大宰府の地で亡くなられたのちに、京都では百鬼夜行などの天災異変がしきりに起こりました。これは道真公が怨霊となり、藤原氏を苦しめていると恐れられ、朝廷では道真公を鎮め祀ることを定めました。
 天満宮は道真公が学問・詩歌・文筆に優れていたことから、合格・学業成就の御祭神として広く崇敬されています。また「とうりゃんせ」という童謡からも解るように子供の健やかな成長を願う神さまとしても有名です。





プロフィール

tsutsujitenjin

Author:tsutsujitenjin
宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡鎮座、杜の都の天神さま「榴岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)」の公式ブログです。
境内の様子や祭典・行事などをお知らせ致します。

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